立山
2011年 08月 21日
2011年8月21日(日)
18日(木)
7時の新幹線で越後湯沢、北越急行経由で富山。(途中先日の大雨で土砂崩れの箇所が多く、徐行運転)電鉄富山で11時半立山に着きました。宿に荷物を預け、駅前で昼食。強い雨が降り始めた。予定を変更して、隣の立山カルデラ砂防博物館を見学。しばらくすると雨が上がり、13時10分のケーブルカーで美女平977mまで上がる。富山湾側の雲行きはあやしく、自然観察教育林へは入らず、逆コースのバス道を歩いた。40分ぐらい歩いたところで大雨。愛山荘(廃屋)に駆け込みカッパ、スパッツを身に着け、引き返す。
道路が川のようになり始めた。帰り着いた宿のお風呂が気持ちよかったこと。
立山杉の中石仏が安置されていた。
19日(金)
朝の天気予報は大雨、洪水、雷注意報が出ている。しばらく様子を見ていたが、とりあえず室堂平2450m
まで上がる。ゴアテックスのズボンとスパッツをつけ、様子を見ながら一の越2700mを目指す。ライチョウの親子を発見。観光客のカメラの放列に動ぜずのんびりと散策している。ガスは流れるが空は明るくなり始めた。チングルマ、ミヤマアキノキリンソウ、ウサギギクが咲き乱れている。途中残雪を横断。11時40分一の越2700mで宿のおにぎりを食べる。黒部湖がガスの切れ間に見える。晴れ間が見えるようになり雄山3003mを目指す。がれきの急登。ゆっくり登り始める。娘が遅れ始める。カジヤ地獄から吹き上げてくる風が硫黄くさい。2880mの肩で娘がダウン。家内だけ頂上を目指す。私は娘に付き添う名分で無線機を出す。
平日で静か、しばらくすると静岡市とつながる。船窪岳2459mを越え富士山の山肌で反射し静岡市とつながったようだ。家内が立山頂上雄山山神社の鈴とお札を持って嬉しそうに降りてきた。三人そろって慎重に下山を開始。途中射水市の小学生の団体に追い抜かれた。室堂平近くに来て雲行きが怪しくなり傘を出して歩いた。4時半過ぎに宿に着く。
一の越から雄山山頂(見えない)を見上げる
20日(土)
今日も天気は思わしくない。弥陀ヶ原か美女平周辺の散策を中止。再び立山カルデラ砂防博物館の3D見学。安政5年(1858年)の飛越地震で大鳶山と小鳶山が大崩落。常願寺川の土石流が2度発生。それ以来治山治水工事をしている。13時50分の特急で帰京。。
18日(木)
7時の新幹線で越後湯沢、北越急行経由で富山。(途中先日の大雨で土砂崩れの箇所が多く、徐行運転)電鉄富山で11時半立山に着きました。宿に荷物を預け、駅前で昼食。強い雨が降り始めた。予定を変更して、隣の立山カルデラ砂防博物館を見学。しばらくすると雨が上がり、13時10分のケーブルカーで美女平977mまで上がる。富山湾側の雲行きはあやしく、自然観察教育林へは入らず、逆コースのバス道を歩いた。40分ぐらい歩いたところで大雨。愛山荘(廃屋)に駆け込みカッパ、スパッツを身に着け、引き返す。
道路が川のようになり始めた。帰り着いた宿のお風呂が気持ちよかったこと。
立山杉の中石仏が安置されていた。
19日(金)
朝の天気予報は大雨、洪水、雷注意報が出ている。しばらく様子を見ていたが、とりあえず室堂平2450m
まで上がる。ゴアテックスのズボンとスパッツをつけ、様子を見ながら一の越2700mを目指す。ライチョウの親子を発見。観光客のカメラの放列に動ぜずのんびりと散策している。ガスは流れるが空は明るくなり始めた。チングルマ、ミヤマアキノキリンソウ、ウサギギクが咲き乱れている。途中残雪を横断。11時40分一の越2700mで宿のおにぎりを食べる。黒部湖がガスの切れ間に見える。晴れ間が見えるようになり雄山3003mを目指す。がれきの急登。ゆっくり登り始める。娘が遅れ始める。カジヤ地獄から吹き上げてくる風が硫黄くさい。2880mの肩で娘がダウン。家内だけ頂上を目指す。私は娘に付き添う名分で無線機を出す。
平日で静か、しばらくすると静岡市とつながる。船窪岳2459mを越え富士山の山肌で反射し静岡市とつながったようだ。家内が立山頂上雄山山神社の鈴とお札を持って嬉しそうに降りてきた。三人そろって慎重に下山を開始。途中射水市の小学生の団体に追い抜かれた。室堂平近くに来て雲行きが怪しくなり傘を出して歩いた。4時半過ぎに宿に着く。
一の越から雄山山頂(見えない)を見上げる
20日(土)
今日も天気は思わしくない。弥陀ヶ原か美女平周辺の散策を中止。再び立山カルデラ砂防博物館の3D見学。安政5年(1858年)の飛越地震で大鳶山と小鳶山が大崩落。常願寺川の土石流が2度発生。それ以来治山治水工事をしている。13時50分の特急で帰京。。
by asakita6
| 2011-08-21 12:12
| 山歩きと無線
|
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